2020年1番の傑作「はちどり」から読み解く映画の最前線(解説・あらすじ)
『最も個人的なことは、最もクリエイティブなことだ』
これは今年のアカデミー賞におけるポンジュノ 監督が引用したマーティンスコセッシ 監督の言葉です。
今回激推しする韓国で2018年に、日本では2020/6/30より公開されているキムボラ監督長編デビュー作「はちどり」も、ごく私的な作品ながら多くの人の過去現在を内包する強い普遍性を持っています。
映画「はちどり」とは
しかし普遍的であれど、この監督にしか物語ることができない視点と洞察によって国内外で50を超える賞を獲得するなど極めて高い評価を得ています。
この映画が撮られたきっかけは監督が
「過去を振り返った時、中学の3年間という時期に私に解けていない宿題があると思い、省察したこと」
だそうです。
1994年を舞台に、多少の脚色はありますが監督自身の過去を主人公ウニへと投影した作品となっています。
とはいえ過去を懐かしむことが主題かと言われれば否で、現在の眼差しで不可思議な過去を見つめ自分と対話を図ることが目的としてあります。
そして深いところでかなり現代的なニュアンスを感じます。今だからこそ漸く描くべき側面がとても正直に偽りなく描かれています。
はちどりが描く過去現在のジェンダー観
韓国では近年「82年生まれ、キムジヨン ]がベストセラーになるなどフェミニズムに対する意識が高まっています。
はちどり観賞後、後続的にこの本を読んだことで、驚くほど両者が描く94年頃の社会・家庭に共通項が多く、明確に鮮明化されていきました。
82年生まれ、キム・ジヨンで作中こんな言葉があります。
「息子は少なくとも4人いなくちゃね。」
そして次女であるキム・ジヨン氏の下には堕ろされて存在しない三女、そして待望の長男が産まれました。
また、「はちどり」の主人公であり3人兄弟の末っ子ウニには長男である兄、その下に長女の姉がいます。おそろく、親からすると1人でも多く息子が欲しかったのですが3人が育てる限界だったのでしょう。
息子ではなく娘として産まれてしまった主人公ウニの目前には、明らかな家父長制の世界が広がっているのです。
(他に2015年「国際市場で会いましょう 」という映画が記憶に新しく、これもある男の人生美談を描くと同時に家父長制が強いた闇の部分を映していました。)
この「はちどり」では、"家父長制における暗黙の了解"が当然の様に日常生活の一部として描かれていきます。なぜならそれが世の中の当然だったからです。そこに説教臭さや押し付けはなく非常に正々堂々とした気概を感じます。
そして当の男性もとても繊細に人間的、立体的に描かれていました。ある一コマが印象に残っています。それはある晩の食卓で、文字通りその身一つ(先述の通り当時は息子は多い方が良かった)にプレッシャーとストレスを溜め込んだ長男が突然泣き始めるシーンです。なんて脆く繊細なシーンなのかと思いました。
この光景はウニからするとさぞ不思議だったと思います。
思えば不思議なことだらけです。兄だけへの期待と自分への無関心、友人や後輩との軋轢、それだけではありません。高度経済成長の最中という大きな社会の流れの影には、生活規模の小さな綻びが蔓延していたのです。
これらはまだ中学2年のウニにとってはあまりに大きすぎる世界の問題でした。
はちどりが描くメッセージを考察してみる〜この世で最もたしかなこと〜
そんな彼女にも、人と人との素晴らしい出会いがありました。そしてそれによって彼女のいる不可思議な世界は彼女にとってより意味のある世界へと色を変えて興味が広がっていくのです。
その1人がウニが敬愛するヨンジ先生です。監督はこのヨンジ先生に、伝えたいメッセージの全てを詰め込んだと語っていました。
つまりこの映画は過去の監督自身であるウニと、現在の思いの語り手であるヨンジ、過去現在の監督自身の対話として描かれているのです。
過去に理不尽に感じた事、今だから理解できる過去の事象は存外多いのではないでしょうか。
当時の自分に何かアドバイスができることがあるなら、それは紛れもない成長の証だと思います。
そして当時の自分が一番欲しかったアドバイスを投げかけられるのは自分自身であることに気づきます。
過去の自分を取り巻く環境を再度見つめ、そこで生きていた自分と対話を図ることでこの映画は生まれした。
個の内側の奥の奥にあるものを大切にしていれば、過去の迷いも現在の悩みもいつかはきちんと自分を成すのです。
そこには性別や世間体、社会の形相などは介在しません。
私はその象徴である主人公ウニとヨンジ先生、この2人の姿に確実に心を打たれました。そして静かに、確実に背中を押してもらった気がします。
この映画が傑作であり崇高である理由
「良い作品・芸術は己との対話によって生まれ、他者にそれを促す」と言われるように、
#フェリーニ #ベルイマン から現代監督まで、自己対話によって生まれた数多くの素晴らしい作品は、彼らの名をより偉大にしていきました。
そして「はちどり」という映画その全てが、映画偉人たちに語られてきた美学と重なります。
何のために映画を見るのか、と問われたこうゆう映画に出会うためにと答えたいです。
アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した#パラサイト に加え、この作品。最前線の映画とは現在韓国にあるのかもしれません。
(尚、韓国は人口1人当たりの年間劇場鑑賞数が4.37回で全世界1位である。)
映画「バードマン」愛と傲慢を描いた秀作を徹底解剖・解説・ネタバレ~「ジョーカー」との繋がりまで
今回は2014年アカデミー賞作品賞含む4部門受賞した
「バードマン あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡」
を、作中に登場する小説を基に真面目に考察してみる。
だいぶがっつりで長いゾ。
(最後、ジョーカー との関連も)
(がっつりネタバレでいきます!)
初めに
レイモンドカーヴァー著
「愛について語るときに我々が語ること 」
は17つの独立した短編小説である。
その中の表題作である「愛について語るときに我々が語ること」では、四人の男女が"愛"について真剣に議論し合うという会話劇として展開されている。
屈曲した愛を語るもの、失われたもの、常識で測れないもの、憎しみに転じてしまったもの、そんな調子だ。
そして愛を互いの物差しで測りあう最中、こうも言う。
「僕らはみんな愛の"初心者"のように見える。...略」
この"初心者"という点はバードマン主人公のキャラクターおよびサブタイトルに大変重要である。ここからは小説と映画の関係性を主に紐解いていきたい。
https://www.amazon.co.jp/愛について語るときに我々の語ること-村上春樹翻訳ライブラリー-レイモンド-カーヴァー/dp/4124034997
彼の探す物
ところで、バードマンの主人公リーガンは、
元スター俳優でありながら現在は落ちぶれ、結婚生活も破綻、一人娘(#エマストーン )の信頼も失っている。
再起を目指す彼は自ら主演と演出を手掛け、ブロードウェイの舞台に挑戦する。
というのがおおよそのあらすじだ。
そしてこの舞台の題目こそがこの小説、
「愛について語るときに我々が語ること」である。
ここで、彼は二つの点においてのビギナーである。
"愛"と"舞台"
・彼にとって愛は失われたもので感触が無くなっている。(実際のところこの男はエゴが強く本当の愛について何も理解しようとしてない。)
・また、舞台に関して彼は全くの素人である。
("何故、元映画スターがやったともない舞台にこだわるのか"
に関しても重要で、彼のバックグラウンドがこの小説に出てくるエドという男に酷似している点と、著者のレイモンドカーヴァーに個人的な思い入れがあるからだと推測される。実際に高校の演劇を観た本人にメッセージからメッセージを受け取ったと言っている。
要するに彼にとってはやるしかない、何が何でも成功させたい舞台なのだ。)
無知がもたらす予期せぬ奇跡とは
彼は最初、舞台を成功させることで再び世間からの賞賛と注目を浴びたい、という承認欲求を満たすための名声(この時点の彼にとって名声=愛)を得たがった。
(と同時に娘との溝を埋めたいという思いも)
彼はエゴが強いことが時より現れるバードマンの具現化により表されている。
しかし普通に考えてそんなに上手くいくわけもなく、共演者の#エドワードノートン 演じる中堅俳優に演技を食われたりプライドを損ねられたりと空回りしてしまう。
更に彼のエゴに失望している娘からも
「誰もあなたに注目なんてしてない、もっと世の中を観て」
とまで言われる始末。
そして不足の事態に見舞われたり批評家からの評価も散々な状態で本公演を迎える。
そこで決死のリーガンは体当たりで捨て身の演技をしてみせるのだ。
生まれ変わろうと。
終いには実弾で自身の鼻を吹き飛ばす。
幻滅させ続けた過去との決別と言わんばかりに(このシーンも小説内の1シーンに類似する)。
彼のこの演技が深く認められ、批評家からはサブタイトルにもなっている
「無知がもたらす予期せぬ奇跡」と評された。
(批評家としての意味は舞台も演技も初心者である彼が起こした風前の灯だという皮肉的ニュアンス)
彼は後日目覚めた病室で、ぐるぐる巻かれた包帯の隙間からお見舞いに来た娘を確認する。そこには娘と父の本来の姿があった。
ここで、
この小説の中で唯一最もらしい愛が描かれている話があるので紹介する。
それは交通事故にあった老夫婦の話で、男は重症でベッドに横たわり、隣にいる愛する妻を見ることすら出来ないことに嘆き悲しむのだ。自身の怪我を意に介さず想うところに存在する無償の愛。
彼らと似た状況のリーガンだが、彼は男と違って自分の目で、愛を確認することができたのだ。なんて恵まれた奴なのだろう。
リーガンは当初の望み通りに世間からの承認欲求的なエゴ性の愛に触れられた他に、
一人の男として、一人の人間として誇りを取り戻し、
更には娘との真の愛情まで勝ち取った。
舞台と愛の無知(初心者)が、舞台で奮闘し愛を勝ち取ったこと、このことこそが"無知がもたらす予期せぬ奇跡"なのだ。
ラストの解釈:愛と傲慢
そしてあのラストに繋がっていくのだが、同時に両作のテーマにおけるゴール「出口」についても言及したい。
小説の"解題部"で綴られている村上春樹 氏の
「彼らは誰もが真剣に愛と救済を求めている。渇望し、希求している。
運命がどれほど熾烈なものであれ、彼らはなんとかそこに出口を見出そうと努めている。
そしてそのドアが愛という記号を通してしか開かないことを彼らは感じている。」
における出口と同意義の出口をバードマンのリーガンも求めていたのではないだろうか。
娘からの愛、身近な愛ほど得るのは案外難しい。
だからより簡単なものから手に入れられないかと希求していく。世間からの名声、更には一番ハードルの低い自己愛、エゴ。
ここでの自己愛は本当の意味で自分を愛するというエルトンジョン 的な意味ではなく、
愛への渇望から生じる自慰的なものであることは推測し易い。
先程にも記した通り、リーガンは予期せぬ奇跡として自身の誇りと娘との信頼、即ち愛を勝ち取ったリーガンは文字通り渇望と希求の末、出口を見出す事が出来た。
そして最後、探し求めた出口と言わんばかりに、窓から○○するのである。
ここで、ラストに二つの解釈が存在すると私は考えている。
・まず一つ目の、「愛を得たバードマンが窓から飛翔するラスト」は容易に想像がつく。
・そして二つ目は「愛を"得ること"だけに夢中だったバードマンのエゴが満たされ、その罪により窓から死するラスト」。
私は前者を信じるが後者を推している。
彼は愛されることを求めていたが、こちら側から能動的に愛することを行わなかったように思える。
冒頭で映るレイモンドカーヴァーの詩における
「この人生で望みを果たせたか?
-果たせた。
君は何を望んだ?
-愛される者と呼ばれ、愛されてると感じること」
にも通ずるように、彼の愛に対する傲慢さが目に余る。
また、ラストで空から火の玉が落ちるシーンはギリシャ神話における「イカロス」の隠喩である。
その話では人間の傲慢さについて触れているらしい。
愛によるハッピーエンドか
愛によるブラックコメディか。
いずれにしても滅茶滅茶深く鋭利で面白い映画だな。
悲劇か喜劇か
最後に、
この映画はほぼノーカットの長回しで撮影されている。何故なら人生に途切れは存在せず、カットして編集できないのが人生だから。
そして、その瞬間は落下していてもストーリー全体を通して観るとエネルギーに溢れた物語に昇華されている。
そこについて、撮影インタビューで語った監督の言葉が
「Comedy comes from stretching the tragedy.
-喜劇は悲劇を引き延ばすことで得られるもの。」
最近聞いたセリフだ。
リーガンの末路も主観では喜劇。
総括:「学歴は関係無い?」映画業界就活 東宝・松竹・東映・WOWOW・(劇団四季、マスコミ)
2020年度の1就活生です。
この度は私が入りたくて入りたくて仕方なかった映画業界の就活記録を共有していきたいと思います。
少しでも今後の就活生の役に立てばなと思います。
(この業界の就活情報少ないですよね、、、)
選考結果
何はともあれ、まず最初に結果を記します。
正直、記せるほど大した結果ではないので恐縮ですが、選考内容など、参考にして頂ければ幸いです。
東宝
ー 作文 → 書類 → 一次(集団)面接 → 筆記試験 → GD → 二次面接 → 最終面接
松竹
― 書類 → webテスト → GD → 一次(集団)面接 → 二次面接 → 最終面接
東映
ー 書類・作文 → GD → 筆記試験 → 一次面接 → 二次面接 → 最終面接
WOWOW
ー 書類・作文 → webテスト → 一次(集団)面接 → 二次面接 → 最終面接
劇団四季 ー ES → GD → 一次(集団)面接 → 二次面接 → 最終面接(辞退)
地方テレビ局(×2社) ― ES → 一次(集団)面接 → 作文・二次面接 → 最終面接
という感じでした。総じて、どの会社も専攻段階が多すぎる。。。そして各段階で1/3ずつに減らされていく印象でした。
筆者スペック
筆者は駅弁国立大学 保健学部卒の医学系大学院生です。
映画業界とは全く異なる専攻分野でした。
しかし、この大学生活で映画愛に目覚め、どうしても映画に携わりたい、映画の事だけを考えていられるなら!という思いで挑みました。
以下主なプロフィールを箇条書きします。
(今後、各記事で紹介する選考内容は以下の手持ちを元に戦いました。)
- 地方国立大の保健学部卒業
- 同大学大学院の医科学専攻現2年
- 医療系国家資格有り
- SNSでの映画アカウントを用いて映画広報(instaでフォロワー1000人程度)
- 地元で映画イベント開催(20人程度の規模感)
- サークル、部活は無所属
- 映画館のアルバイト四年間
- 夏季住み込み旅館バイト二年
- 映画鑑賞は学生5年間毎年100本ずつ
この度はそんな自分の映画業界就活を通しての過程を記していきたいと思います。
そして来年度以降、この業界に挑む映画好き就活生の役に立てばと思います。
各社の総評
これから随時更新していく各社別選考内容の前に共通事項(配給大手三社、WOWOWは今後)を記したいと思います。
あくまで一就活生の見解ですが、、、
学歴はほぼ不問
各社、各選考で同じになった就活生も踏まえて、総じて色々な背景の方がいました。地方駅弁大学の私が言えたことではありませんが、聞いたことの無い私大の方も。
少なくとも書類選考で大学名で切られる、ということはあまり無さそうです。
その反面、戦う敵は幅広くなります。
(しかし、専攻が進むにつれて相対的に良い学歴に収束していってた感覚があります。)
映画オタクである必要は全くなし
各社選考を通して映画・映画業界に関する深い知識は聞かれませんでした。
ただ、宣伝部門志望なら、印象に残っている過去の映画宣伝、自分の中のアイデアは聞かれるので必ず用意してください。
後はその配給会社の最近の作品を観ておいて感想を言えるくらいにはしておいたほうがいいと思います。(面白かったなどの主観的な感想ではなく、産業的・商品的な感想の方がいいかも)
オタクの知識量よりも、想像力や作品を伝える話術の方が大きな戦力として見られます
映画業界の理想論語りは避けるべし
初めに邦画業界の現状を把握し、産業的な視点に立つことが重要です。
例えば、
①邦画をもっと海外にうけるように海外志向に変えていきたい
②映画を通して苦しんでいる方に元気を与えたい
等はNGだと考えています。
理由は
①そもそも対消費者のベクトルが海外に向く必要が(今のところ)あまりないからです(これに関しては後々記事にできたらなと考えています)。
そして、中途半端にそう意見して、具体的な案や海外志向の必要性を問われてもなかなか厳しい戦いになるからです。
②これは就活を通して色濃く感じたのですが、思っている以上に企業は映画をお金として考えているということです。
(松竹ではインターンに参加した際、10億円のヒットを期待できる企画を考えろというお題を与えられました。そこである女優さんを主人公に立てて企画したところ「彼女じゃ10億は取れないよ」と言われびっくりしました)
映画業界をこうしたい!こう変えたい!というより、極端な話「こうしたら利益になるのではないか」と意見したほうがいいです。
本当に入りたいなら少なくとも三社は受けるべし
各社の専攻が進むと、その各社において他の二社(松竹の面接なら東宝、東映)の選考状況を教えてくださいと聞かれます。
映画業界に入りたいという意思表示をするためにもこの三社は絶対受けましょう。そして何としても書類は通しましょう!
ちなみに三社は結びつきが強いので嘘はバレます(笑)
入社最初の研修も一部、三社合同で行うらしいです。いいなぁぁ。。。
体育会系が有利!
これは想定と感触ですが、体育会系が好まれていそうな気がします。特に東映では「映画まじラブ」っていう人は少なく「ずっと部活、運動して成績残してきました」って方ばかりでした。(選考番号が前の人がかるたの二年連続クイーンだったりも)
とりあえず体力は必要です!
都会の方が有利
一概には言えませんが都会の方が様々な経験を得られるチャンスが多いからです。
映画業界のようなエンタメ業界は、「きちんと学業と部活をがんばりました」だけのエピソードでは勝ち進むのが難しい印象です。
人が多く様々なチャンス・経験が転がっている都会では地方に比べ選考のネタになることが多いのではないでしょうか。
まだまだ共有したい内容はありますが疲れたので以降の記事で!
以降の記事では各会社毎にESの中身から、専攻での質問事項、体感や感想まで、いろいろを綴っていこうと思います。
ぜひぜひ見てみてください!
(質問があれば気軽に!)
②2018年/東宝インターンシップ とりあえず考察
ではまずエントリーシートから最終選考までの流れをどうぞ!
↓
選考
↓
②説明会参加
↓
③企画書提出
↓
④一次面接
↓
選考
↓
⑤最終面接
↓
最終選考
とこんな感じです。
長い、、、道のりが長い、、、
またそれぞれの人数はというと応募するのがだいたい1500人、
エントリーシート通って一次面接まで進めるのが150人、
最終面接受けれるのが40人、
それを通って見事インターンに参加できるのが13-15人という正直インターンに参加することすら厳しいです。。。(大阪、東京合わせて)
ではそれぞれ順に見ていきましょう。
まず
[①エントリーシートについて]
4つの設問に分かれており、設問1)は出身校など記入する欄、そして
2).学生時代に頑張ったこと
3).このインターンシップに応募した理由
4)あなたが誰にも負けないこと
それぞれ300字以内
という感じで続きます。
これは以後受ける松竹株式会社のインターンで身にしみて感じた事にも繋がりますが、
いかにエンターテイナーとして面白いことを、興味をそそることを表現できて、目に留まる工夫が出来るかがこの時点で見られていることを意識しないといけません。
私の場合、映画に対する思いを3)で書き、2)もそれに繋がるように書き、4)ではモノマネと書きました。
(そして最終面接でそのモノマネをさせられズッコケました。)
そして
[②説明会参加]
これは本社または大阪支部へ実際に行き参加します。
そして東宝の現在の映画業界の立ち位置、最近の右肩あがりっぷりを説明していただきました。
そしてこの時点でもう次の課題が与えられていて、それが
[③企画書]
なんですよね、、、
これが最初の難関、、、
という具合です。これは企画書なんて普通の大学生は作る機会が無いと思うので、大きな差が出ると思われます。私は図書館で企画書の作り方、パワポの効果的な魅せ方など素人ながらに勉強して挑みました。
まぁ具体的な内容に関しては勉強不足過ぎるのが今見ると露骨に現れていて恥ずかしいです。。。
この企画書のアイデアインパクトが次の選考の大きなウエイトであると思います。
というのも次の選考はこの企画書と④一次面接のセットです。
しかも一次面接ではこの企画書の内容を沢山聞かれます。そしてこの面接は2人ずつのペア面接なので、相方よりも優れた企画書を提出した方が必然的に喋れる内容が多くなり思いを伝えられるからです。
では④以降は後日書いていきます!!!